デート代論争が終わらない理由 — 規範だけが残って規則が消えた

「初回のデート代、男が払うべきか」

毎年燃えます。 そして毎年、同じところで止まります。片方が「男が出すのが当然」と言い、片方が「時代が違う」と言い、双方が相手を非常識だと結論して終わる。

このサイトは「べき」の答えを出しません。出せない形式の問いだからです。代わりに、なぜ答えが出ないのかを書きます。

3条件を全部満たしている

決着しない問いの3条件に当ててみます。

規範を事実の形で問っている。 「べき」の問いなのに「正しいのはどちらか」として争われます。だから資料をいくら出しても動きません。事実で争っていないので。

対価の基準が共有されていない。 一方は「金銭」を数え、もう一方は「準備にかけた時間・身支度の費用・移動・断られる可能性の負担」を数えています。どちらも嘘をついていないのに一致しません。 単位が違うだけです。

当事者の属性が争点そのもの。 議題が「男が」「女が」なので、譲歩すると自分の値下がりになります。だから誰も譲れない。

3つ揃っているので、構造的に終わりません。 参加者を入れ替えても、10年経っても終わらない。実際、終わっていません。

規範だけが残った

では何が起きているのか。ここが本題です。

奢る慣習は、男女の収入差が制度的に固定されていた時代の慣習です。結婚後に女性が退職する前提の雇用慣行が広く存在した時期、支払い能力の差は個人の努力の結果ではなく構造としてありました。慣習はその条件の上に立っていた。

そして60年でパートナーの成立が割り当て制から市場に変わったのと同じように、この条件も薄れました。

しかし慣習は残りました。

これが論争の正体です。どちらかが間違っているのではなく、規範を支えていた条件が消えたのに、規範だけが更新されずに残っている。 残った規範は、支えを失っているので根拠を示せません。根拠を示せない規範は「当然」としか言えなくなり、「なぜ?」と聞かれると答えられない。

一方で、規範がまだ流通しているので、従わないと非常識に見える。両方の側が理不尽を感じているのは、両方とも正しいからです。

見合いには規則があった

比較すると分かりやすい。

割り当て制の時代には、費用の分担に規則がありました。 仲介があり、家同士の取り決めがあり、何をどちらが負担するかは慣行として決まっていた。当事者が推測する必要がなかった。

市場に移行したとき、規則は消えて、規範だけが残りました。

割り当て制市場
費用の扱い規則がある規則がない
参照するもの慣行相手の内心の推測
不一致のとき仲介が調整当事者が衝突

いまデート代でつまずくのは、相手の内心を推測しなければならないからです。そして推測は外れます。外れたときに調整する仲介もいません。

これは見合いがやっていた機能の代替が作られなかったという、このサイトの中心の主張とまったく同じ形の問題です。接続の機能だけでなく、取り決めの機能も代替されていない。

問いを立て直す

「どちらが払うべきか」を「なぜ規則が存在しないのか」に置き換えると、答えが出ます。上に書いたとおりです。

そして実務的な処方も出ます。

論争が起きるのは、規則が存在しないからです。当事者間に規則があれば、論争は発生しません。

つまり問題は「誰が払うか」ではなく「決まっていないこと」です。事前に決めてあれば、どの分担でも機能します。決まっていないと、どの分担でも不満が出ます。

具体的には、店を決める段階で予算帯を共有しておく。会計の方式に言及しておく。それだけで、推測が要らなくなります。気まずいと感じるかもしれませんが、気まずさを避けた代償として支払っているのが、この論争の消耗です。

「割り勘にすればいい」でも終わらない

念のため。「これからは割り勘が正しい」という結論にはしません。

一方の規則を全体の答えとして押し付けると、それも同じ論争を再生産します。 根拠を示せない規範がもう1つ増えるだけです。

解決は特定の答えではなく、事前に合意する手続きのほうにあります。答えは当事者ごとに違っていい。決まっていることが要件です。

消耗として見る

最後に実用の話。

この論争に参加して神経を使うのは、割に合わない取引です。上に書いたとおり構造的に決着しないので、投入しても回収がありません。

自分の関係の中で規則を決めるのは意味があります。SNSで一般論として勝つのは意味がありません。前者は数分で終わり、後者は10年やっても終わっていない。

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よくある質問

デート代は男が払うべきなのですか?
このサイトは「べき」の答えを出しません。答えが出ない形式の問いだからです。指摘できるのは、奢る慣習が収入差が制度的に固定されていた時代に成立したものであり、その条件が薄れたのに慣習だけが残っているという構造です。
なぜこの論争は毎年繰り返されるのですか?
決着しない問いの3条件を全部満たしているためです。規範を事実の形で問っている、対価の基準が共有されていない、当事者の属性が争点そのものになっている。この形式では参加者を入れ替えても終わりません。
奢る慣習はいつ成立したのですか?
男女の収入差が制度的に固定されていた時期の慣習です。かつては結婚後に女性が退職する前提の雇用慣行が広く、支払い能力の差が構造的に存在しました。慣習はその条件の上に立っていました。
結局どうすればいいのですか?
規範を推測し合うのをやめて、先に決めることです。論争が起きるのは規則が存在しないからで、当事者間に規則があれば論争は発生しません。誰が払うかより、決まっていないことのほうが問題です。
割り勘にすれば解決しますか?
一方の規則を全体の答えとして押し付けると、それも同じ論争を再生産します。解決は特定の答えではなく、事前に合意する手続きのほうにあります。