「それマウンティングだよね」が会話を終わらせる理由 — 反証できない指摘について

「それマウンティングだよね」

言われたことがあるか、言ったことがあるか、どちらかだと思います。そして言われた側は、たいていこう返します。

「そんなつもりはないけど」

この返答は効きません。 なぜ効かないのかを書きます。相手が理不尽だからではなく、言葉の形がそうなっているからです。

指している現象は実在する

先に認めます。会話の中で自分の優位を示す振る舞いは、実際にあります。

聞かれていない年収を挟む。相手の話題を自分の上位の経験で上書きする。心配の形をとって不足を指摘する。これらは実在し、やられた側は確実に不快になります。 名前が必要だったのは理解できます。

問題は、選ばれた名前が相手の意図を指していることです。

意図は観察できない

マウンティングという指摘は、こういう構造をしています。

あなたは優位を示す目的でその発言をした。

目的は外から見えません。見えるのは発言だけです。だから指摘は、観察できないものについての主張になります。

そして決定的なのはここです。否定が否定として機能しません。

「そんなつもりはない」——これは、本当にそんなつもりがなかった人の発言としても自然ですが、まさにやっていた人の発言としても完全に自然です。やっていた人が「はい、優位を示す目的でした」と言うことはありません。

つまり肯定でも否定でも、指摘は成立してしまう。 どんな応答が来ても覆らない主張には、反証の手段がありません。

反証できない指摘は、議論を進めません。打ち切ります。

「気にしすぎ」も同じ欠陥

公平に書きます。逆向きも同じです。

「気にしすぎじゃない?」も、相手の内心(過敏さ)を証拠なしに帰属させる形をしています。だから同じく反証できません。

両方の側が同じ構造の武器を持っている。 そして両方が使うと、会話は必ず止まります。どちらが正しいかとは無関係に、形式がそうなっている。

決着しない問いの3条件でいえば、これは3つ目——当事者の属性が争点に入る——の変種です。属性の代わりに内心が争点になっている。内心は変えられないし証明もできないので、譲歩の余地がありません。

言い換えれば機能する

処方はあります。主語を自分に戻すことです。

反証できない形検証できる形
それマウンティングだよねいまの話、比べられてる感じがした
そういう意図で言ってるそう聞こえたんだけど、違う?
気にしすぎだよ自分はそういう意図じゃなかった

右の列は自分が観察できることだけを言っています。「そう聞こえた」は聞いた本人にしか分からないことなので、外から否定されません。そして相手は応答できます。

「そう聞こえたなら言い方を変える」で終わる。これは会話が続いた状態です。左の列だと、続きません。

言い方が柔らかいから良いのではありません。検証できる主張になっているから機能します。

なぜこの語が要るようになったのか

ここは推測が混じるので、断定はしません。ただし構造として言えることがあります。

比較が常態化した環境では、優位を示す振る舞いに名前が必要になります。

市場は参加者を並べて評価する仕組みです。並べるということは、比較の頻度が上がるということです。年収、身長、学歴、フォロワー数。比較の材料が可視化されている環境では、会話の中に比較が入り込む回数そのものが増えます。

回数が増えれば、それを指す言葉の需要も増える。語が広まったのは、指すべき対象が増えたからだと考えるのが自然です。

つまりこの語は、問題の症状であって原因ではありません。 そして症状に名前をつけても、比較の頻度は下がりません。

何を言っていないか

念のため線を引きます。

「マウンティングは存在しない」とは言っていません。 存在します。不快も正当です。

「指摘するな」とも言っていません。 指摘の形を変えると通る、という話です。

言っているのは、この語を使うと会話が終わるという一点です。終わらせたい場面なら有効な道具でしょう。続けたい場面では、目的と手段が合っていません。

そして続けたいのかどうかは、使う前に決めておいたほうがいい。決めずに使うと、終わってから「なぜ通じないのか」と考えることになります。

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よくある質問

マウンティングとは何ですか?
会話の中で自分の優位を示す振る舞いを指す語として使われています。指している現象は実在します。問題は指し方が「相手の意図」であることで、意図は外から観察できないため、指摘が反証できない形になります。
なぜ「そんなつもりはない」では否定できないのですか?
その否定が、やっている人の発言としても完全に自然だからです。肯定でも否定でも指摘が成立してしまう主張は、反証する手段がありません。反証できない指摘は議論を進めず、打ち切ります。
では指摘してはいけないのですか?
言い換えれば機能します。「そういう意図だった」は検証できませんが、「そう聞こえた」は検証できます。後者なら相手は「そう聞こえたなら言い方を変える」と応答でき、会話が続きます。
「気にしすぎ」と言い返すのはどうですか?
同じ欠陥を持っています。相手の内心(過敏さ)を証拠なしに帰属させる形なので、やはり反証できません。どちらの側も同じ構造の武器を使うと、会話は必ず止まります。
なぜこの語が広まったのですか?
断定はしません。ただし比較が常態化した環境では、優位を示す振る舞いに名前が必要になります。市場は参加者を並べて評価するので、比較の頻度そのものが上がります。